埼玉での、猫の殺害事件。
弱い動物たちに、殺意や悪意の矛先が向かう時、警察の方々は、人に向かうことを警戒されると聞く。
同時に、子どもを持つ親たちも、警戒を強める。
だから、きっと、警戒して、捜査されていた事と思うけれど。
警察は、事件が起きてからじゃないと動き辛いシステムとも聞く。
殺人犯を逮捕する方が、動物虐待犯よりも成績になったりする矛盾が、あったりするのかも。と思ったりする。
人間に向かう前に、止められたら。
殺人未遂犯や、殺人犯を出さないで済む。
真の防犯になるのだと思う。
以前、何かで、人間以下の扱いを受け続け、心が荒み、花を見て心が和む所か、むしゃくしゃして、グシャグシャにした事がある。という方の記事を見た。
その方は、辛いご自身の気持ちを汲んで貰え、かつ、命を粗末にすることを叱られ、命の大切さを教えてくれる愛情深い方に出会えたそうで。お陰で、酷いことをしてしまったと、反省が出来、植物の命も愛おしむ事が出来る心を取り戻された。と読んだことがあった。
もしかしたら、猫に行く前に、兆候があったのではないかとも思われた。
(植物云々ではなく、器物破損なり、物に当たらなくても、何か気配が)
猫に被害が出るまえに、警察が出なくても済む前に、何かが、誰かが、犯罪を起こしかけている心に、希望を届けられたら、猫さんも大丈夫にならないだろうか…。
行政やシステムだけで回避出来ているとは、考え辛い中。
同じ心境になった人があったとしても、何処かで、何かのブレーキがかかる出会いや、出来事に出会っているから、何とかなっているような気がする。
歴史(過去)に、もしもはないけれど。
今は、変えていけるから、せめて、少しでも人様の心荒ませ無くて良い生き方を、微々たるものでもしていこう。
と心させられる、心痛い事件だった。