superaho’s diary

犬も食わない捻くれ+ひきこもり系ポンコツBBAの緩い駄文。

本末転倒

暇があれば引きこもっている私。

体動かしたいけど、ジョギングやウォーキングは心のハードルが高く、踏み出せずにいました。

花や景色、生き物たちの写真を撮影しながらの写歩(写真+散歩)なら、行きたい気持ちになるな。と、意識的に出られるようになりました。

散歩しながら、花の写真を撮影していましたら。

(春が近づいているのを感じます)

 

ムッ

タバコの吸い殻が…美しくない…撮影不可。

ムムッ

お菓子の袋が…撮影不可。

ムムムッ

お弁当のゴミが丁寧に袋に入っているまま…撮影不可。

 

どうせ散歩するなら、ゴミ拾いでもしながら散歩するかな。(気になるし)と、ゴミ拾いしながら、写歩することに。

散歩しながらゴミ拾いって、合理的だよなぁ。と思っていましたら。

プロギング(Plogging)とは、スウェーデン語の「plocka upp」(ピックアップ/拾う)と「jogging」(ジョギング/走る)を組み合わせた造語

(20220601 プロギングって知ってる?https://dime.jp/genre/1395239/サイトより)

という活動?エクササイズ?があるようで、人間、考える事は似るものだなと思うのでした。

 

私は、走りませんけどね。

 

歩いてゴミ拾いするイベント企画されていたサイトには、ピックウォークって名付けられていました。

 

ただね、ゴミ拾いの最終目的って、本当はピックしなくて済むようになる事なのに、矛盾した感覚に陥る事があるんです。ゴミ拾いハイみたいな。

 

大物のゴミを拾えたり、大量のゴミが回収出来ると、こんなにやったという達成感があるせいか。

何も落ちていなかったり(良い事)、吸い殻とか小さなゴミだけだと、なんだか残念というか、寂しい心持ちになっている自分がいる事に気がつきまして。

いやいや、本来は、ゴミ拾いなどしなくて済むようにする為のゴミ拾いでしょ。

風で飛ばされたり、気付かず落としてしまった程度のゴミくらいしか無い街になるのが一番。

なのに、拾って充実感得ているようでは…元来の目的から離れてしまいますよ。と、自分にツッコミんでいます。

 

ゴミが、自分から見えなくなれば、世の中から無くなったのと同じ感覚になる人や、無意識に捨てる人達は、まるで、拾う人に充足感を与える為に捨てているようなものになってしまうじゃないか。とすら思われました。(極端)

 

そんな本末転倒にならないように、ゴミが無い街を写歩出来るようにしようと思い直すのでした。

 

蛇足

(本末転倒なんですけど)

捨てられるタバコの吸い殻に、持ち主の癖が出ていて面白いんですよね。。。

タバコ高いのに勿体ない👀(吸わないけど)お金持ちかしらと思うくらい、長いまま捨てられているのがあったり。

懐具合か、性格か、チョーチビチビのフィルターギリギリまで吸われている(タバコ冥利に尽きる⁈)のがあったり。

結構あるのが、うっかり落としたらしい新品のタバコ。手持ちが無いけど、タバコ吸いたい人がいたら、それで賄えるんじゃないかとすら思うくらい。

また、新品を開けた時に箱ごと植木に落としたらしく、一面ばら撒かれていた時は、落とし主に思わずドンマイ…と同情したくなりました。

捨てられている場所も、特徴があり、ベンチや椅子の周辺にもあるにはあるのですが。

人目が気になり吸いにくいからか、数本あるか無いか。

人目につかず、一息つける階段とか、座る所じゃない座れる場所周辺に、同じタバコの銘柄で数本(大体、2〜3本くらい)が、まとまってあったりします。

捨てられるタバコの銘柄も、場所によって異なっていて、銘柄による生息地⁈でも作れるんじゃないかと思って、楽しんでしまっています。

タバコの吸い方って、その人の美学みたいなのや、人生観とかが、垣間見えるような気がしました。

 

ポイ捨ては、火事の危険がありますし、葉っぱの部分と紙の部分はともかく、フィルターは時間が経っても結構残っている(自然にかえっていない)と知ったので、せめてフィルターは持ち帰って捨てて欲しいと思います。

(そもそも、ポイ捨てが問題なんだけど。)

 

あとね、気遣いで空き缶を灰皿にされているのかもしれない吸いカスを見かけるのですが。火事の危険度は下がって良いけど。缶をリサイクル出来なくて、中身ごと不燃に出さなきゃいけないから。出来たら、携帯灰皿持ち歩いて欲しいな。と思います。

ってか、販売元が、タバコに付属させて欲しいかも。(使うかどうかは、個人の倫理観だけど)

 

追記 20230208

どうやら、10年近く前から、ピリカというゴミ拾いアプリがあるらしい。