superaho’s diary

犬も食わない捻くれ+ひきこもり系ポンコツBBAの緩い駄文。

一神教と多神教

ドラマVIVANTを観て。

どーにも、腑に落ちない。

 

神という存在を、信じ切ることも、

無神論者になることも、科学信仰することも出来ない身ながら。

 

日本に根付いた自然崇拝的な信仰心に基づいて、様々な思想宗教がミックスした文化的環境に生き、無意識に多神論者になっているので。

(初詣に神社に行き、死んだら寺のお世話になり、クリスマスを祝い、盆や彼岸など先祖崇拝もする)

 

宇宙に唯一、その神しかない。

という事が、よくわからないのだ。

 

宗教に詳しくなく、間違えた解釈をしているかもしれない。

 

ただ、VIVANTのラストを観て、対立より融和が大事な言いたいことはわかるけど…少しモヤモヤした。

 

私自身、以前は、色んな国の神様を、皆、神様なんだから受け入れたらいいじゃん。

って普通に思っていたけど。

 

それは私の普通でしかなくて、唯一神を持つ、一神教を信じる人たちにしたら、自分の神以外の神は神じゃないから。

 

多神を認めるって発想そのものが、多神教的で彼らの普通ではないんだ。と知る。

 

唯一神しか信じない人に、色んな神様がいるんだからお互いの神様を認めあおうよ。

って言うのって、一見、平和的に受け入れているようで、実は、対立しちゃう。

(この考え方って、最近、多様性を叫ぶ人に見られる傾向と似ていて。多様性なのに、多様性を受け入れない人は弾かれ、多様性を受け入れる人しか受け入れられない矛盾を孕んでいる。)

 

唯一神だ。

多神だ。

って…唯一神同士でぶつかるのと大差無い。

 

成り立つとしたら、自身が無神論だったり、多神教である立場を自覚すること。

もしくは、唯一神を信じる人の立場にはない事を、自覚することなんじゃないだろうか。

 

あなたは、その唯一神を信じているのですね。

私は、こちらの唯一神を信じていますとか。

私は、神はいないと信じている、もしくは、八百万の神々を信じています。

って、並列な表現しか出来ない気がするのだけどなぁ。

(所謂、お互いの違いを認めるっていうのか。違いを認めない。という人の意見も認める。というか)

 

解ったつもりにならないのが、一番大事で。

人の事は、わからないからこそ、常に、お互いを解ろうとし続ける努力を必要とする。

 

それが大事とわかりながら、なかなか出来なかったりするのが人間だから。

 

違いを知った上で、理解しようとし続ける。

違うからって、勝手に決めつけて、排除しない。

…って、ことを言いたかったのかなぁ。

と思うんだけど。

 

ちょっと腑に落ちなくて、モヤモヤしてる。