superaho’s diary

犬も食わない捻くれ+ひきこもり系ポンコツBBAの緩い駄文。

罪悪感

産後、コミュニケーション齟齬から、離婚も過っていた頃に、親も解らなかった私の気持ちを汲み取ったメッセージをSNSでくれた人がいた。

 

知人から、人の心や身体の不具合を、自身の身体の痛みで受け取り治せる人がいる、と聞いていて、私自身、側に具合が悪い人がいると移るというか、共鳴して具合が悪くなるので。

 

その感覚が、思い込みや勘違いという見方以外で知ることが出来るのではないか。

煩わしいとしか思えなかった感覚を

世の中に活かして、助けられてばかりだった人たちに、恩返しする事が出来るのではないか。

と、講演会に伺う予定でいた人だった。

 

当たり前だけど、代替医療には色々あるので、相手に取り込まれ過ぎないように、多少は警戒して会に行った。

(そうは言っても、メッセージで大分感動しちゃってw会いたい気持ちのが強かったと思う)

 

如何にもな、宗教的な白い服とか、占い師的なビラビラした格好の人だったら、帰ろうと思っていたけれど。

 

普通の人だった。

 

見た目で脅かすような人じゃなくて良かったと、ホッとした。

 

会った時は、途中から入ったので、何やら他の方の話の影響から、倒れていらしたから、顔は見えなかったのだけど。

 

あれから、十数年。

 

お陰様で、離婚もせず、まだ多少、夫とのコミュニケーション齟齬があり、お互い微妙な時はあるけれど。

 

産直後に感じた夫への嫌悪感、不信感、怒りなどは、大分改善された。

 

熟年離婚があるように、産後の恨み辛みは、男性にはわからないだろうが、世の多くの母たちは、夫を諦めて、60,70になっても溜め込んでいる事が多いことを思うと。

 

早い段階ですれ違いを回避出来たことは、本当に凄い事だと思っている。

 

また、子どもの不調は、親の心の影響。

と、師匠が、私の心の在り方を変えられるように、長らくサポートして、ひたすら夫の見方を変えようと心砕いて、良い所を伝え続けてくれたお陰だと思っている。

(師匠は、この頃、夫には会ってないが、私の話から汲み取れる人生経験と人間力がある)

 

とはいえ、この話を他の人にした所で、夫婦には波があるから、自然と落ち着いたら良くなるとか。

 

私と同じように、産後鬱になりかけたママが、

私は友達が気がついてくれて、行政にサポートして貰えたから。

(も、じゃなくて、は、がポイント)

と話していて、私も師匠に助けられて良かったと思っていますけど。と思いつつ。

(そのママは、師匠に会っている)

暗に、あなたと違って、個人カルトに洗脳されなくて良かった。という本音を感じた。

 

確かに、心の掴み方や、やり方は、カルトや宗教と同じだなぁ。と思う所はある。

 

ただ、企業でも、研修でやったりするコーチングや啓蒙は、学校含め、ある種の洗脳であり、宗教の手法とも言える。

 

ビジネスでも、ファンを信者化させる手法がある。

 

世の中に悪影響を与えたり、混乱させたりするものでなく、逆に、引きこもっていた人が、有名大学に入ったり(元来優秀だったのもある)、小学校から不登校だった子が、大学を出て保母さんを目指したり。

 

寝たきりになりかねない人に、身体はキツくても医療に頼らず、働く勇気を届けて、働いていたり。

 

人の命を活かす。

をモットーに、世の中にプラスになる事をされている事を思うと。

 

個人カルト的だからと、一概に切り捨てないで欲しいなぁ。と思うけど。

 

洗脳されて、操られているかもしれない(師匠はそんなつもりなく、ひたすら人の為の心で接しているだけなんだけど)私が伝えても、難しいのよね。

 

医療に見放された人に希望を届けようと、意思を持って、大丈夫、生きられるよ。

(想いや、愛はエネルギーで物質にも影響を与える事、人の為の心が奇跡を呼ぶという体験の元と、)

と、サポートされて来た方々の中でも、亡くなってしまった方々もある。

(元来余命宣告されていたりするので、医療的にもそれが要因という状態ではない)

 

悲しいのは、師匠が後ろ向きな心を前向きにするサポートと、沢山の時間を割き、思いやりを向けて状況が変わっても、

医療的な奇跡だったり、自分で気付いたり、思い付いた自然な流れと区別がつかず、前向きな心をサポートして貰ったから、良い環境や出会いに意識が向くようになった。

という師匠のお陰様がある事に気が付かない方々も多い。

 

皆さん、師匠に有り難く思っているけど、お陰で良くなった。という実感が薄いため、他の人にもこの体験を伝えようとか、知って貰おう。になっていない。

 

また、師匠もその事を、感じながらも、私のお陰よ。なんて言うのは、ただの親切の押し売りという人の為、経済的に厳しくとも何も言わない。

 

それが、わかりながらも、少人数(10人くらい)で、会の開催を2月に一回、飛行機代二人分と宿泊費5人分を割る経費を負担するのは、個人的にキツイ。

(師の神曰く、一月に一回が理想と言われていたが、現実厳しいと、2月に一回になる。とはいえ、飛行機の席もランクアップだし…私は、2万くらいしか出してないけれど)

 

恩知らず。

と言われているけれど、教えて貰えるだけ有難い。

 

出来たら、安い交通費と宿にしたいが。

 

師匠の方針が人のためなので、自分の懐具合で、他人を安く働かせない。人も成り立つ金額で。というのがあるので安ければ良いって訳にいかない。

 

安くするときは、こちらの懐具合に配慮してくださって、受け入れて貰う。という事になる。

 

(とはいえ、何かの直感で師匠も割引品を買うので、絶対定価で、とかでないのが、難しいのだ。人の為の心であれば、自然と他人を痛めない選択が出来るらしい。)

 

そもそも、病のみならず、想いがあれば、地球環境も改善出来る。というので、師匠自身は、東京の地震を止めに来ているそうなので。

 

そういう自分たちの為に来ている人に、安い場所という発想や心で良いのか。と教わるので、そういう訳にも行かなくなる。

 

確かに、地球を守ってくれているのが真に腑に落ちていたらそうだろうが。

 

師匠は、かれこれ数十年この活動をされていて、地球環境が改善されている様子が感じられない。

 

師匠が生まれていなかったら、日本はもとより、地球ももう無いレベルだったかもしれない。と考えたら、師匠のお陰で悪化しながらも、ここまで生き延びた感謝になるのだろう。

 

ただ、なんか、それは、気持ちが悪い。

 

そうなったら、隷属したり、下僕化しそうで、死にはしないけど、ただでさえヤバイのに、更にヤバイ人になりそうだし。

 

師匠の愛が効果を発揮出来ないのは、(311や、能登地震など)師匠に無自覚でも、不信や、反発、邪魔をしたい心を動かしている人がいるからだそうで。

 

私自身、公にしたり、人に公言すると上手く行かない事が、しないでやるとスムーズに上手く行くので、その感覚は、わからなくもないけれど。

 

じゃあ、黙ってやったら良いのでは。

と思うけど。

 

それじゃダメで、人様を感謝不足の恩知らずにしてはいけないと、難む心のエネルギーを受けても、健気に公にして、地球を守る心を向け続けている。

 

マインドコントロールはされているし、金銭的には借金はないけど、キツイ(今はセーブしているけれど、陶酔したら、会以外に使えなくなる)けど。

 

依存状態ながら、心の安定は得られているし、離婚も避けられ、私がシングルマザーになっていたら、税金に助けて貰わざるを得ないと思うので、それがない分、社会貢献も成されているかもしれない。

 

そう考えると、他に勧誘しなければ、私だけの問題で、世の中に迷惑かけず、個人カルトでも、行き続けても良いんじゃないかと思うけど。

 

以前は、話に出なかったけれど、師匠の後継に、お子さんを添えたい。(これは、師匠からしたら、自分を頼りにしている人たちが、路頭に迷わないように、自分以上に人様へ愛情深い我が子に引き継いで貰いたい。という印象)

と話はじめるようになった。

 

私は、良し悪しに関わらず、少なからず恩を感じているので、お子さん、お孫さんと、サポートさせて頂こう。という想いでいるけれど。

(サポートしなきゃならないようなご家族でなく、ちゃんと自立され、働かれている方々で。むしろ、私のがサポートいる身ながら)

 

会として、続かれるとなると、ちょっと厳しいものを感じている。

 

夫婦仲をとりもち、健康もサポート(普通に不具合有りながら、不具合と見ず人間性を高める学びと見る為、病ではない)し、子どもの未来も守ろうとしている人だから(と私は受け取っている)

 

夫にも、子どもにも、如何に師匠に恩があるか伝えるのが、筋である。と教わる。

 

確かに、確かに、確かに、そうなんだけど。

 

師匠が与えてくれているものが何なのか、

悲しいかな人間性が低すぎて解らないのよ涙

 

夫に、私が会に行って変わったか聞いても、変わらないって言うし。

ただ、妻がストレス発散するにはいいと思っているらしい。

(最初は、良いものだから、社会全体に広がれば、私と似た悩みを持つ人たちも楽になるなと、会の告知などしていたが。今や逆にストレスになっていると言っても、お前の性格の問題だと、伝わっていない。否めないけど)

子どもには、伝えつつも、暫く行ってなかったけど、行こうかな。と言い始めた。

 

ただ、今の師匠だけでなく、お子さん(ゆくゆくは、お孫さん)に引き継ぐとなると、宗教2世のように、子どもの選択肢を奪ってしまう懸念も感じる。

 

というか、両親が一番懸念している。

また、家族含め、他人を勧誘しないよう言われ、子どもも連れて行かないように言われている。

(反発も、会によれば、こちらの覚悟の問題で、理解して貰う努力不足という、私の課題の一環なんだけど。結局、それで、当たり障りなく付き合う人と、関わりを断つ人が出るだけなんじゃないかと思う部分がある)

 

後継を我が子にという話を、周りに請われて、こちらが請うて、そうなるなら解るが、誰も何も言わない内から、師匠が言い出すのが怖い。

 

師匠にしたら、訳わかっていない人たちを、より良き心の世界に導かねば。という使命感から、こちらが請うのを待ってはいられない。

という部分もあるのだろうと想像しているが。

 

傲慢で、恩知らず、感謝不足(と教わりながら、改善出来ていない)私程度では、地球を守るだけのサポートを見えない世界から得られる大きな器の師匠の想いを推し量るのは、難しい。

 

感謝出来なかった後悔を残させない為に、師匠は、感謝不足を伝えているのだけど。

 

親への感謝も足りてないのに、見えない力で世界を守っている人への感謝に足りる事なんかあるのだろうか。

と思えば、子々孫々、崇め奉り、下僕化になっちゃう気がして。

 

人様まで、下僕化させて良いものか。

 

心の師に恩を感じながらも、

簡単に人様にお伝え出来ずにいる。

 

師匠は、皆が、師匠を独り占めしたい独占欲(確かに、聞き上手なので頼りになる)から、人に分けられていない。と言って(くれて?)いるが。

 

他人に伝えて地域社会から追い出されるかも…という自己保身もあり、自己中という部分では同じだから、反論はないけど。

(というか、私の元来の性格の問題もあり、既に孤立化している)

 

治るよ。と師匠が言ったけれど

(師匠は、間違った事は口に出来ないように。と天に祈り、口に出来る事は、間違い無い。と信じている)

私も、治るんだ。と思っていた人が、亡くなってしまい。

(癌の再発だったし、最終のケア病棟に入られていた)

 

そんな現実を幾つも目の当たりにしながら、どうして師匠は、希望を届けたい一心だけで、治ると言えるのか。

その想いの大きさ、治るにする意思に、ついていけない気持ちがした。

師的に見たら、怖気づいた。という事になるのだろう。

 

これだけ書いて、心の師は、ただただ人の為。

の想いだけで、生きているので、そういう人に、こういう想いを抱いている自分も嫌になる。

 

だから、会に行くのをやめようとしたけど。

 

師匠は、人との縁を自分から切らない。

をモットーにされているので、そのときは、

師匠から、もう来なくて良い。と言われたけど。

 

師匠の気持ちを汲み取られ、私と家族を見捨てない気持ちから、お子さんが、まあまあ。と宥めた事で、未だ、会に参加している。

 

この時の、お子さんの私たち家族への愛情をどれだけ解っているか。と言われたら、わかっていない。

 

師匠は、自分の人生は、幸せで面白い。

と経済的に辛い時も、いつもニコニコ楽しみ見つけ上手、感謝見つけ上手なのに憧れはするけれど。

 

師匠みたいになれるよ、出来るよと聞いても、

私みたいな人非人(師匠からしたら特に)に、愛情を注ぎ続ける事が出来る気がしない。

 

分からず屋は、とっくに見捨てて、解る人にシェアして、解った人から、より沢山の人に浸透していく方が良いのに。と思う。

 

師匠曰く、解らない人にも、解るように伝えることが、人間力を磨く。

そうなのだけど、師匠の人間力は、充分磨かれているから、私みたいな分からず屋は、見放して貰えた方が、正直気が楽だ。

 

そんな甘えた事を思うような状態を、ズルズルしているのも気持ち悪い。

かと言って、どっぷり浸かる覚悟もない。

 

今の関東や台湾の地震も、師匠的には、不信や反発を向け感謝を忘れた私の悪意のせいなんだろうな。

 

お話を最初に聞いていたころは、確信は無かったけど、師匠が止められる可能性が本当にあるなら、人として、その可能性を追求、研究して社会に役立って欲しい。と思っていた。

 

地震を止める意思を持つ。のだそう。

ただし、311の時に、私は、師から、あなたは想うのを辞めて。と言われたので、控えている

まだ、心がクリーンになっていない(過去に溜めて来たネガティブな想いや業を振り返っていないから)

実際に効果があるのか、見えないけれど、想いを向けた師には解るらしい。

こちらも、わからないながら、思った所でダメ元なので、心をクリーンにして、思えるようになって、思ったって害は無い。

と思っていた。

 

正確には、それだけ想いには物理的に影響する力があり、だからこそ、表に出さなくても、自分の心の在り方には気をつけないといけない。

という教えだそうなんだけど。

 

自分の想いの影響はあるかもしれないが、地球を守れるくらいの人の想いを阻むほどの力があるとは、妄想でも、納得出来ないんだよなぁ。

 

会に行けば行くほど、自分が悪者になって、師に感謝より、申し訳なさと罪悪感を抱く。

 

ただ、素直に感謝にしたら良いと言われているけれど。

 

愛情に胡座をかいたり、甘えでは、ダメだし。

 

ただ、感謝してたら良いって訳にもいかないから、なかなか進歩していない。

 

そんな会に誰が来たがる⁈だよね。

 

師個人に会いに行く人は、遠方からも沢山いるのだけど。

 

私がいる会は、ドンドン人が減ってる。

 

あーはやく、辞めたい。

こんな気持ちで参加していて、本当に申し訳ない。

 

自分、いい奴とも思っていなかったけど、

嫌な奴なのを突きつけられて、辛くてますます行きたくなくなる。

 

本当に、そこで変わって、いい奴になれたら良いけど。

(最近、何が本当にイイヤツなのかも解らなくなってきた)

十数年変わってないしな…どうどう巡り。