superaho’s diary

犬も食わない捻くれ+ひきこもり系ポンコツBBAの緩い駄文。

避難所

台湾を想って、加油台湾って送ったけど。

日本こそ、加油だよ…

 

テレビで放映されていた花蓮の避難所を見たら、日本の比じゃなくて、恥ずかしくなった。

 

本来、こうだよね。

って作り。

 

スペースを効率よく使ったテント(天井無し)

テントの中には、地面の冷えが来ない簡易ベッドが二つ。

テントは、前回の地震では、1日かかったものが、3時間で出来たそう。

 

充実した食料、マッサージスペースもあった。

子どもを遊ばせられるマットが引かれたスペース(電車でも席を譲られにくい日本でこのスペース確保出来るのかな…)

電話、Wi-Fiもあり、一台だったけど、ゲームもあった。(一台って使いにくいけど、予約制とか時間決めたら使えかな)

 

整然と整理されていて、人々の動きに統制が取れているのが見える。

 

インタビューを受けた若者は、足りないものは今のところ無いと言う。

おばあちゃんも、身体は心配無いけど、心が辛い。と、

日本なら物資が行き届いた数ヶ月後から言われ始めていた心理ケアが、既に必要だと、対応されている。

 

台湾より地震の被害が多く、世界でも群を抜いてケアが出来ていて、輸出しても良いくらいにデータがあって良いはずの日本で、なぜ雑魚寝が続いているのだろう。

 

日本だって、テントあるって言うけど、阪神大震災以降、必要な全ての自治体に供給出来るようになっているのだろうか。

 

今回の台湾の設備は、国の予算ではなく、民間企業の協力を得て、民間で倉庫に保管されていたそうだ。

(その地域で大きなNGO団体というツィートも見かけた)

 

国が全部やっていたら、当然、予算は足りない。

 

税金が重いのは、有効に使われている。

という実感が持てないからで、

どれだけ取られているかとは違うのだ。

 

ああ、こういう所に使ってくれているなら、払っていて良かった。と思えるもので。

 

その為には、国民一人一人も、自分に得がある事だけでなく、全体に利益がある使われ方をしているのか。

 

見極める目と、行政の人たちが働きやすくなる協力も必要なのではなかろうか。

 

コロナ禍の対応も、台湾は迅速だった。

 

それらが出来る理由が、政治だけの問題だとしたら、本当に政治の持つ力という物の強さを思い知る。

 

期待は出来ないけれど、国民の為という想いを持って、政治家を目指した方々の初心が

彼らの家族を含めた心に再び花咲く事を信じるしかないかもしれない。

 

未来の子供たちに残せる国であるように、とりあえず、行政に頼らなくても生き残れる出来る限りの自助努力をしようかね。

電車の席

端が空いたら詰める派です。

 

左右に人が来たら、のびのび使っていた後に、幅取らないように、キュッて身を縮めることになるので。

 

端でも隣にいらしたら詰めますが。

 

左右ぶつからないように気にする必要がなく、

片側は寄りかかれるので、眠い時も助かります。

端の方が気楽なんだもの。

 

とはいえ、手すりが低かったり、立つ人の影響受ける所だと、あんまり恩恵無いかな。

 

パーソナルスペースが…って記事を見て、見えない空気の話じゃなくて、物理的な理由なんだけど。と思った件。

 

後から左右に人が来たりした時、物理的にぶつからないように気を使わなくても良い。

 

服をふんでしまったり、自分が踏まれたりしないようにしたり、カバンが邪魔にならないように気をつけたり、端なら片側気をつけたら良いけど。

 

他だと両側に気を使う。

 

入れ替われば、また気を使うし。

 

パーソナルスペースが広いからじゃない。

 

海外の人は、そこまで神経質に気を遣ってない。ってだけじゃないのかな。

 

日本人の性質がわかった人は、朱に交わればで、気を遣われるだけなんじゃないのかな。

 

と、どーでも良いのに、書きたい事が、結構ある。

ボタンを押したくなる心理

NHKの番組、チコちゃんで、ボタンを押したくなるのは、自分がコントロール出来る物がある事に、安心感やリラックス効果がある為だとか。

アメリカの大学の先生の論を引用されていた。

 

が、個人的にボタンがあると、反応があろうがあるまいが。

 

反応が有る無しも確認したくなる身としては、コントロール下に有る無しなど、お構いなしなので、納得行かなかった。

 

子どもがボタン押したくなる時、反応が面白いからだけなんだろうか。

 

反応があるか無いか確認したくて押したり、反応が無いのに、あるボタンが面白くて押したりするんじゃないかなぁ。

 

以下の記事では、親と同じものを使いたかったのか。反応の無いボタンに喜んでるケースだ。

https://grapee.jp/1561818

無駄を楽しむ

時短、タイパ、コスパ、スペパと、

無駄を省いて効率を上げる事が、正義な昨今。

 

本来、資本主義への皮肉や批判が込められていたミヒャエル・エンデのモモすらも、タイパと読まれる世の中にあって。

 

(時間泥棒は、遅刻したりミスなどで他人の時間を使ってしまう人ではなくて、効率を上げて生産性と生産力を上げ、人の時間を使って利益を吸い取ろうとする資本家の事なんだけどね。今や資本家は、最もタイパの良いシステムを知恵と努力で得た憧れの人かなんかな扱いだから。見方も変わるのかな)

 

情緒とか、余白とか、遊びとかが否定されているような気がしてしまう。

 

本当はそんな事無いし、頭の良い人たちは、その中で、自分の時間を上手に作り出せるのかもしれないけど。

(思うように行かない時のストレスは倍増しそうだけど)

 

なんか、疲れて来た。

 

反動で、無駄なこと、無意味なこと、生産性なんか0なことを、今、物凄くしたい気持ち。

 

そう書くだけでも、少しスッキリする。

 

丁寧な暮らしも、意味深くて好きだけど。

 

優先順位つけ下手、段取り下手な私には、

ちょっと特別で、日常にするには、他のことが出来なくなっちゃうな。と思う。

 

意味が無い事を、無性にやりたくなって、だから、ここに書き連ねているんだな。と思う。

 

この時間、昼のパフォーマンス落ちるし、体調崩すし、代謝も落ちるかもしれなくて、何もメリットなんか無いけど。

 

無駄なこと、メリットを考えない事、意味のなさ、良いなぁ。

 

不安感を放置して、成長しない感じも、

なんか、疲れなくて、キツくならなくて、

気が楽。

 

この逆をしたら、人として成長して、社会的地位も上がり、効率良く大成出来そうw

 

何かのために

誰かのために

と鼓舞してきた所があるけれど。

 

なんのためでも

だれのためでも

もちろん、自分のためでもなく

 

人生を無駄に生きてみたい衝動が動いている感じがしている。

 

なんて贅沢かつ傲慢な命の運び方なんだろうか。とも思いつつ。

 

実際どーするかはともかく

そんな心境だわ。

犬カフェ

行きたいと思いながら、数十年?

やっと初めて行く機会を得て行ってきました。

 

今更感半端ありませんが。

もう、流行りというより、定番化しつつあるサービスになって来ていますね。

 

繁華街の一角で、結構並んで待っている人が多いお店でした。

 

そこのカフェでは、犬と遊ぶというよりは、

餌(オヤツ)メインにわんちゃん達が寄ってくるので、

オヤツが無いと、犬も来なくて、ただ餌をやる人たちを見る会になりましたw

 

わんちゃん達も、よく心得ていて、入って来たばかりの人達を入り口で待ち構え、オヤツを貰います。

 

だから、奥にいるのんびりしたわんちゃん達には、あまりオヤツは行き届いていないように見えました。

 

入ったばかりの人たちは、寄ってくる子たちがかわいいから触れ合おうと、オヤツを使い果たします。

 

使い果たすと、わんちゃん達は、次なるターゲットを探すので、寄って来なくなりましたw

 

おもちゃで遊ぼうとしたけど、餌探しに夢中なわんちゃん達は、食べ物じゃないのか。とスルーw

 

私の雰囲気が悪くて遊んでくれないのかな。

と思いきや、他の方も同じだったので、そういうものかと知りました。

 

慣れた方は、オヤツを少しずつあげながら戯れていましたね。

 

1時間くらい滞在する予定でしたが。

オヤツが切れると寄って来ないので、実質30分くらいで、前後合わせて40分って感じでした。

 

並んでいましたし、あんまりのんびり滞在出来るものじゃないんだなぁ。と少し残念。

 

行くなら、保護猫、保護犬などの資金になるカフェの方が良いな。と思いました。

 

また、今回の犬カフェでは、わんちゃん達の奈良の鹿感(餌だけでなく、餌をくれる人間含めて餌と認識して寄ってくる感じ)がスゴくてw

 

戯れるつもりが、餌をあげロボな気分になりました。

 

けれど、その感じも、動物らしくて良かったです。

 

わかりやすくて、なかなか個体によって、オヤツを貰う創意工夫も色々あり、見ていて面白かったです。

 

猫カフェにもお邪魔してみたいです。

猫さんの方が、自由気ままそうなので、こちらも気楽に構われなくても眺めていられる気もしました。

ガールズバー

ガールズバーで嘔吐して、店長を暴行し、12万の支払いをせず、強盗で捕まった人のニュースを見た。

 

報道の仕方から、これだからブレイキングダウンの奴らは…みたいなニュアンスを無知ながらも、感じさせる報道の仕方に感じ。

そういう見方で受け取って良い情報なのかな。と少し気になった。

 

店で嘔吐するまで飲むのも迷惑だけど、

暴行や、無銭飲食の逃走は、他者や、お店に治療や対応対策の金銭的負担を負わせるのみならず、そういうケースに対応しなくてはならないかもしれない。と、社会を不安定にさせる問題でもある。

(犯罪だし)

 

酔っていて、思考が冷静でないとはいえ、犯罪を罷り通すわけにはいかない。

 

ちょっとよくわからないのだけど、気になったのは、ガールズバーという場所は、飲食代と清掃代の相場って、どれくらいなのだろう。

って事。

 

被害を受けた側か、支払う側かで、高いか安いか見方が違うだろうけれど。

 

少し検索して見かけた範囲では、

嘔吐して支払う側の方々のネット記事を見ると、数万円(3万とか)が多く、それでもぼられていないか疑っていた。

(内訳を貰うようアドバイスされている方が多かった)

 

お店にもよるだろうけど、お店側からしたら、清掃のみならず、人材を割く費用、その間の収入減、その場にいた他のお客様の店のイメージダウンなどの損害含めて、10万は取りたい。

という情報を見かけた。

 

そう思えば、12万は法外ではないかもしれないと思ったけど。

 

カードでも払えず、銀行にも七千円しか無かった人に、お店はどうやって払って貰おうとしたのだろう。と、違う所が気になった。

 

この人は捕まったけど、後から払いますって逃げちゃう人がいないとは限らないと思えば、飲食店にとっても由々しき問題だろう。と思う。

 

した事ないけど、飲食店で吐くまで飲まないように気をつけないとね。お店の為にも、同行者も含め、吐くまで飲まないように心を配ろう。と思ったニュースだった。

 

こういう違う視点で捉えた事を書くと、犯罪者擁護とか、極端な受け取り方をされる方々が(一般的なのか)多いので、誤解の無いように改めて書くけど。(記事見てる人居ないけど念の為)

 

擁護じゃないから。

 

銀行に7000円っていうのを見て、更に、世間に晒された事を思うと、個人的に同情心が起きなかったかといえば、無くはないけれども。

(日頃の行い?の問題など、色々あるかもしれないし)

被害を受けた方を思えば、同情の余地無しだ。

 

ただ、牢屋も、警察も税金かかっているので、税金をかけなくて済むようにするには、罪を犯さないで済むような、仕組みや方法を考えて行く事も大事なんじゃないだろうか。と思う部分がある。

 

罪(にしないんじゃないよ)を作らせない社会の仕組み作り(キツく取り締まるだけでなく、追い詰められる状況にしない何かの仕組みとか)も、考えていった方が未来の社会にとっても、良いのではないか。

と思うのは甘いのだろうか。。。

 

これ出して良い記事なのか、かなり迷った。

自分の中でもスッキリしないものがあるままだし。

 

同じではないけど、子どもを虐待した親を叩く人達に、叩いて本当に子どもが救われ、解決されるなら良いけど。不快な気持ちを誰かを悪にして発散させたいだけに見えた事があった。

 

むしろ、虐待を隠蔽させ、助長させる行為に感じて、本当にこの叩いている人たちは、止めたいと思っているのだろうか。と疑問を抱いた。

 

個人の問題で、問題の親を社会から排除し、子どもだけ救えば良いなら、とっくに解決しているはずだ。

そうならず次から次へと現れるのは、何故なのだろうか。

 

親が密接に関わっていて、親を取り巻く社会の在り方が、無縁ではないから、行政だけでは対処し切れない状況になっているのではないか。

 

個人には、個人の問題はあるけれど。

社会には、社会の問題があり、社会として一人一人が改善していける方法があるのではないか。

と伝えようとしたら、虐待親に同情する非常識人間扱いされて、対話が出来ない状況になった。

(社会のせいにしていると受け取られたのかなぁ。社会のせいにはしてないし、個人の問題として捉えた対処だけでは、解決出来ていないという事は、どういう事なのだろうか。と考えてのことだったんだけど)

 

そんな経験から、世間一般と違う意見を出す際に、自分が伝えようとしている事が、誤解や誤差が少なく、出来るだけ正確に届くだろうか。

という懸念(自分の表現力含め)がありつつ、書いてみた。

ワクチンが足りない

当たり前ですよね。

 

常に足りるように供給出来る状態がどういう状況か考えたら、足りないくらいが、良い環境なのではないでしょうか。

 

あるワクチンの供給ラインを別の流行りのものに、いつでも切り替えられるとかなら、別でしょうが。

 

コロナの時に、足りないからと供給を急いでいたけど、自国しか見てないから気がついてないけど。

 

全世界的には足りない地域もあって、世界と繋がっているのだから、本来は、全世界に供給しないと収まらない。という考えになってもおかしくない状況だったと思うのですが。

 

世界に供給されなくても、収まってきました。

 

ワクチンの効果が集団免疫ならば、限られた資源(ワクチン)を、その数の中でより社会全体に有効に効果が出る打ち方があるのではないでしょうか。

 

アメリカの医師が、ワクチンを時期や地域を異にしてばら撒いても効果が疑わしい。という発言をされていて。

 

どういう事なのだろう。と思ったら、発生した地域なり、団体なり、囲い込んで使う物。

という考え方で、なるほど確かに、それなら、全員に行き渡らなくても、意味があるな。

と思えた。

 

コロナワクチンには、免疫効果が半年といった情報もあったので、尚更だ。

 

恐怖心から国民がワクチンを求める声が大きかったから、大量にアメリカにワクチン代を税金で貢ぐ事になってしまったが。

 

ここから、学べているのだろうか。

 

また、はしかワクチンをただただ大量買いするのだろうか。(国産なら国内に入るから良いけど)とか、思ってしまうのよね。

 

今後、ますます感染症が騒がれるであろう中、

私たちは、一体、どれだけのワクチンを打てば、健康で安心安全になるのでしょうかね。

 

自分の体だけみたら、その時々、あらゆるワクチンが無いと、生きていけない汚い世の中に見えてしまいそうですが。

 

そもそも人間って、無菌の世界で生きられな買ったような。

 

a案、b案のように、ワクチンだけで対応しようとするのは、根本的な解決にならないというか、幾つか対応出来る方法を作って置いた方が良いんじゃないかと、改めて思うのでした。

 

はしかに限らず、冬に、インフルエンザとコロナのダブル流行があった時期に、気が緩んで感染対策を怠っているから。というのが、大半の意見だったのだけど。

 

確かに、コロナ禍の時より緩くはなっているけど。

 

それ以前と同じくらいの対策だったとしても、この冬と、コロナ以前との違いが、解らず、納得行かなかった。

 

コロナ以前より、インフルエンザワクチンを打つ人が減ったのだろうか。

 

ワクチンを使うなら、打ちゃあ良いっていうのでなくて、より、有効な全体を見た打ち方、配布の仕方があるのではないだろうか。

と思えてならないのです。

 

少数でも、後遺症が出る方もある事を思えば、どのように打っていくのか、限られた資源の中で、より有効な効果を得るにはどうしたら良いか。を真摯に思考していった方が良い。

となどと考えているのは、きっと私だけではないでしょう。