時短、タイパ、コスパ、スペパと、
無駄を省いて効率を上げる事が、正義な昨今。
本来、資本主義への皮肉や批判が込められていたミヒャエル・エンデのモモすらも、タイパと読まれる世の中にあって。
(時間泥棒は、遅刻したりミスなどで他人の時間を使ってしまう人ではなくて、効率を上げて生産性と生産力を上げ、人の時間を使って利益を吸い取ろうとする資本家の事なんだけどね。今や資本家は、最もタイパの良いシステムを知恵と努力で得た憧れの人かなんかな扱いだから。見方も変わるのかな)
情緒とか、余白とか、遊びとかが否定されているような気がしてしまう。
本当はそんな事無いし、頭の良い人たちは、その中で、自分の時間を上手に作り出せるのかもしれないけど。
(思うように行かない時のストレスは倍増しそうだけど)
なんか、疲れて来た。
反動で、無駄なこと、無意味なこと、生産性なんか0なことを、今、物凄くしたい気持ち。
そう書くだけでも、少しスッキリする。
丁寧な暮らしも、意味深くて好きだけど。
優先順位つけ下手、段取り下手な私には、
ちょっと特別で、日常にするには、他のことが出来なくなっちゃうな。と思う。
意味が無い事を、無性にやりたくなって、だから、ここに書き連ねているんだな。と思う。
この時間、昼のパフォーマンス落ちるし、体調崩すし、代謝も落ちるかもしれなくて、何もメリットなんか無いけど。
無駄なこと、メリットを考えない事、意味のなさ、良いなぁ。
不安感を放置して、成長しない感じも、
なんか、疲れなくて、キツくならなくて、
気が楽。
この逆をしたら、人として成長して、社会的地位も上がり、効率良く大成出来そうw
何かのために
誰かのために
と鼓舞してきた所があるけれど。
なんのためでも
だれのためでも
もちろん、自分のためでもなく
人生を無駄に生きてみたい衝動が動いている感じがしている。
なんて贅沢かつ傲慢な命の運び方なんだろうか。とも思いつつ。
実際どーするかはともかく
そんな心境だわ。