当たり前ですよね。
常に足りるように供給出来る状態がどういう状況か考えたら、足りないくらいが、良い環境なのではないでしょうか。
あるワクチンの供給ラインを別の流行りのものに、いつでも切り替えられるとかなら、別でしょうが。
コロナの時に、足りないからと供給を急いでいたけど、自国しか見てないから気がついてないけど。
全世界的には足りない地域もあって、世界と繋がっているのだから、本来は、全世界に供給しないと収まらない。という考えになってもおかしくない状況だったと思うのですが。
世界に供給されなくても、収まってきました。
ワクチンの効果が集団免疫ならば、限られた資源(ワクチン)を、その数の中でより社会全体に有効に効果が出る打ち方があるのではないでしょうか。
アメリカの医師が、ワクチンを時期や地域を異にしてばら撒いても効果が疑わしい。という発言をされていて。
どういう事なのだろう。と思ったら、発生した地域なり、団体なり、囲い込んで使う物。
という考え方で、なるほど確かに、それなら、全員に行き渡らなくても、意味があるな。
と思えた。
コロナワクチンには、免疫効果が半年といった情報もあったので、尚更だ。
恐怖心から国民がワクチンを求める声が大きかったから、大量にアメリカにワクチン代を税金で貢ぐ事になってしまったが。
ここから、学べているのだろうか。
また、はしかワクチンをただただ大量買いするのだろうか。(国産なら国内に入るから良いけど)とか、思ってしまうのよね。
今後、ますます感染症が騒がれるであろう中、
私たちは、一体、どれだけのワクチンを打てば、健康で安心安全になるのでしょうかね。
自分の体だけみたら、その時々、あらゆるワクチンが無いと、生きていけない汚い世の中に見えてしまいそうですが。
そもそも人間って、無菌の世界で生きられな買ったような。
a案、b案のように、ワクチンだけで対応しようとするのは、根本的な解決にならないというか、幾つか対応出来る方法を作って置いた方が良いんじゃないかと、改めて思うのでした。
はしかに限らず、冬に、インフルエンザとコロナのダブル流行があった時期に、気が緩んで感染対策を怠っているから。というのが、大半の意見だったのだけど。
確かに、コロナ禍の時より緩くはなっているけど。
それ以前と同じくらいの対策だったとしても、この冬と、コロナ以前との違いが、解らず、納得行かなかった。
コロナ以前より、インフルエンザワクチンを打つ人が減ったのだろうか。
ワクチンを使うなら、打ちゃあ良いっていうのでなくて、より、有効な全体を見た打ち方、配布の仕方があるのではないだろうか。
と思えてならないのです。
少数でも、後遺症が出る方もある事を思えば、どのように打っていくのか、限られた資源の中で、より有効な効果を得るにはどうしたら良いか。を真摯に思考していった方が良い。
となどと考えているのは、きっと私だけではないでしょう。