しない方が良い事として使われていて、自分語り失礼。なんて、断りに使ったりするくらい。
自分語りしない事がマナーのレベルになってきた印象がある。
ネガティブな表現で語られるけど、
自分が生きられない他人様の人生。
本人がどういう認識で捉えて見ているのかを知る機会になるとは、考えないのだろうか。
自分語りや、話をする人を嫌だとか、ウザイとか、思った事がない。
自慢話でも、過去にプライドを持つと同時に、今のご自身に自信がないか、もっと評価される人間と認識しているからされるのだろう。
と思うと、それを聞く事は、相手を知ることに繋がる。
ご自身にとって、自分を形作るアイデンティティであるケースもある。
むしろ、自分語りウザイって言う人こそ、自分にしか興味無いんじゃないだろうか。
と、それもまた興味深いし、私には、自分語りウザイって言う自分語りにすら感じられ、人間って面白いなぁ、と思う。
というより、興味が無かったり、好きでもない人の人生を聞いても、興味ないし、ウザイって話なだけで。
好きな人だったり、目指す所にいる人の自分語りだったら、興味津々で聞くのじゃないかな。
と思うと。
自分語りが、ウザイって事は、お前の人生なんかどうでもいいんだよ。って意味だよね。
私が、自分語りしがちだから、ウザさに鈍いだけかもしれない。
一人一人の日常で出会う、一見ありきたりな話の中には、凄くいろんな情報が詰まっていて、ネット以上に、リアルで聞ける話は、大事だな。と思う。