世間一般では、欲深い事は良いこととはされていない。
人として、大切な心を見失ったり、道を逸れていても、大事に至るまで逸れた事に気がつけなくなったり、他者を犠牲にするケースがあるからだと思っているのだが。
物欲とか、欲がある人は、解りやすくて利便性が高くて、私は嫌いじゃない。
お金さえあれば、動いてくれるなんて、解りやすい。
あらゆる物に解りやすさが求められる複雑な今にあって、ネットを使って、お金で割り切れる闇バイトなどが出てくるのは、予測出来た事。
その人が望む物を持っていて、それを出せば、言う事を聞いてくれたりするケースがあると、友として、心許す事は難しいけれど。
人付き合いとしては、煩わしくない。
欲で動かない人は、自己の信念に従っていたりするので、動かし辛い。
大概の人は、基本的には後者だが。
何か自分の欲のツボをついて来られると、途端に前者になったりする。
生活の為に、少しずつ何かを諦めながら、良く言えば柔軟に生きている。
戦争なんていうのは、最たる我欲で。
どちらが攻めてきたかに関わらず、相手の利益を奪い、自国の利益とする。という点において、我欲の悲惨さが極端に現れた形だ。
結局、国を超えて、一部の人間が得をして、多くの被害が残ってしまう。
欲が人を滅ぼす事の明確な現れでもあるのに、なぜ繰り返してしまうのか。
ロシアとウクライナにしても、ロシアが侵攻し始めたとはいえ、現場で戦いに出された人たちや、ご家族を思えば、国に関わらず、戦争そのものの悲惨さを感じざるを得ない。
にも関わらず、私たちは、大きな他人の欲には悪と気付いても、自分の中にある小さいと思っている欲の悪には気がつかない。
個人的には、何かを悪とする事は、何かを善にする戦争の発端に感じて好きではないけれど。
戦争を悪という人が多いのに、同じ性質を持つ、個人の中の悪には、意外と気がついていないものだな。と思う事があり、書きたくなった。
私自身、欲で動いていないつもりでいたけれど。
生活を維持する中で、自分が得する欲を優先しなかったとは言えない。
安売りセールを周る事はないけれど。
同じ商品が、低価格で出ていて、お財布の中が寂しい時。
欲しさと生活の成り立ちを優先して、作り手の方々の努力や、販売者の方々や、製品がそこに届くまでに関わる方々の生活を思って、お給料が上がるように、高い方を選ぶ。
なんて芸当は、なかなか出来ていない。
自分の給料は、1円でも高い所を探すのに、買い物は、1円でも安い所を探そうとする心の貧しさを指摘された事があり、そういえば、確かに。と、言われるまで、気が付かなかった事にもビックリした。
(とはいえ、1円でも得して、1円でも損を嫌厭する傾向は、お金持ちになる人やお金持ちはその感覚を持っているような…。そのシビアさ故にお金持ちな印象がある)
そういった選択が、一回や、一人では無く積み重なると、その思考や行動が、実は戦争を引き起こしているなんて、考えてもいない。
私は、欲深ってほどじゃないと思っていたけれど、自己保身で選択しないとは言えない。
その選択の結果を、例え他人に操られたのだとしても、人のせいにせず、自分の人生を自分の責任でもって、生きる(当たり前だけど、人のせいにしがちなので)
それだけは、心がけよう。