子どものクラスメイトで、修学旅行に行かないという子がいると聞いた。
私自身は、ぼっちで学校に行かなくて良いなら行きたくない派だったので、修学旅行に行かないという選択肢があると知っていたら行っていなかったな。と思う。
(義務教育の義務は、大人でなく子どもの義務だと思っていたので、死なない限りw行かなきゃいけないと思い込んでいた)
親にボッチかつ、死にたい事などを知られたら悲しむだろうな。と、思い、心を殺して通っていたから。
(私の死にたいは、ほぼ甘えで、人間関係で上手く行かない人間の未来に希望も抱けなかったし、思うように生きられないから死にたい。
なので、環境的には恵まれていた。
精神的に残念な奴なだけで、本当にセンシティブで物理的にも差し迫っている方々と同じではない。環境だけの問題でもないし、差し迫って無くても、ポッとあっち側に行っちゃう方もあるけど)
周りが心配したり、可哀想な人と思おうが、その方が気が楽で、息がしやすい→生きやすい。
って事もあると思っている。
そもそも、四半世紀経って、ボッチの修学旅行の記憶なんて、本当に無い。
記憶力悪いのもあるけど、頑張って思い出そうとしたけど。
宿で幽霊怖いという子に、怖くないよ。と話したけど、通じなかった。っていうどうでも良い記憶しかない。
どこへ行き、何を見て、班が誰とかも、思い出せない。。。
感性を磨くための機会に…って記事を見たけど、若さって、日常の何気ない中にも感性が磨かれる要素が沢山あるのよね。
BBAやジジイが、なぜBBAやGGIかって、
日常の中で感動出来なくなって来るからよ。
旅先が、感性を磨く事はあるけど。
嫌々行く、団体に合わせた修学旅行で、流れるように観光地を巡り、計画こなすスケジュールの中で、どれくらい効果があるのだろう。
むしろ、同じ予算でも、身近に感性を磨けるものや、磨き方を学べる所があるのじゃないかとすら思う。
団体生活を学ぶ集大成とかならわかるけど。
そんなものだから、行きたくないものを、無理に行って楽しめるとも思えないし、後で後悔するとも思えない。
行かなかったら、行ってたらどうだっただろう。と後悔が残るのかもしれないけど。
行っても、行かなくても良かったなと後悔するとしたら、どっちの後悔がマシか。
ってくらいなものだと思う。
(楽しみにしている人や、行くのが当たり前で行かない発想が無い人は別よ)
ただ、細かな事情を知らないので、金銭的に厳しいから行かないとかなら、配慮がいるな。と思う。
不登校ではなく、たまにカウンセリングや、保健室登校のような、教室に行かない登校をされているらしい。
が、それまでは、普通にコミュニケートしていたし、遊びの誘いもあったりしたので、どうしたのかな。と気になった。
かと言って、子どもも、事情を聞くほど親しい訳でも無さそうで。
私もお母さんに一度しか会ったことがなく、突っ込んで聞くのもな…けど、力になれる事があったら、力になれたらな。と気にかける事しか出来ずにいる。
とはいえ、この赤の他人の無駄な気遣いが、心地悪さを感じさせたり、逆に、自尊心を傷つけたりしてしまう事もあるから。
むしろ、大丈夫。心配ない。
と、余計な気を出さずにいる方が、助かるって事もあるよね。と、心定まらずにいる。
力になれないなら、余計なことしない方が良いのかな。
あー自分にイラつくわ