静岡の川勝(元?)知事の職業差別的な発言から、日本全体にハッキリとは表れていないけれど。
存在している知性格差について、語られた記事があった。
川勝(元?)知事の発言は、言葉選びの間違いにも思え、辞めるほどかな。と思うけれど。
無意識の見下しが、表面化した。
と言われたら、本人リベラルと思っている人ほど、女性蔑視する(守らなきゃとか、対等に扱わなくてはダメな力の弱い人たちみたいな)意識が存在するように。
差別意識など無い。と言い切る辺りは、ちゃんとご自身の意識を振り返っていないな。と感じた。
世間が言うような極端な差別意識は無かったにしても、無自覚な差別意識が微塵も無いかを、振り返るのが謙虚さではなかろうか。
人の言葉を聞く耳を持つ、そういう姿勢こそ、差別意識を減らしていくのだとしたら。
やはり、川勝さんに、記者や世間より自分の方が正しい。という頭の高さは否めないな。と感じた。
最近の農業には、東大出て従事されている方もあるから、頭脳労働が出来たらより活性化される分野であるのにな。とも思う。
とはいえ、経歴を見たら、東大レベルじゃなく、オックスフォードみたいな世界を動かすような立場の人たちと過ごして来たら、当たり前に染み付いてしまうのかもしれない、仕方ない事なのかも、とも思えた。
(こういう感覚を、逆学歴差別とも言う)
第一次産業が、肉体労働なのは勿論だけど、それだけじゃ無い仕事になって来ている中で。
行政として阻む事なく、そのサポートを的確に出来る頭脳労働と、現場を想像する想像力が、働く方々に、以前以上に求められているのは事実だ。
また、見下される立場になって、初めて見えてくる事もある。
上からは見えているけど、下からは見えなかったり。
下からは見えるけど、上からは見えない事があるのは、身近な所では、上司と部下の関係にも見える。
忖度が横行するのも、下にいる人が自己保身から、本来なら進言した方が良い事をしなかったり。
また、上にいると当たり前に得られる情報から、知らない人たちには見えない先が見えているのに、自己責任だからと、助言しないで放置したり。
お互いに、どうせ言っても相手が聞かないから。という心理が働いている事は良くある。
そこに、川勝さんのような、無意識の見下しが、お互いに無いか。と問われたら、無いと言い切れるものなのだろうか。と思う。
世の中に、世の中の役に立つ人間ばかり残したら、どんな世の中になるのだろうか。
生きやすい世の中になると思っている人がいるとしたら、自分が役に立たない立場になる事への想像力が欠如している。
その欠如した想像力の人たちばかりで、これから来る予測不可能な未来に、対応出来ると信じられるのが不思議だ。
怖いからマイナスと感じる要因を排除したいのだろうけど。
私の話など、無知の戯言でしかないんだろうな。と思うけれど。
今すぐ直接的に役に立っていなくても、過去に役立って来た方々や、未来に役立つ方々、役に立たない事に意味がある方々などが、ともに存在している世界に生きている。
そこに意味を見いだそうとはしないのだろうか。
そこを排除した世の中が、人として生きやすい世の中になるとは、とても思えない。
光が強いと影が濃くなるように、偏りが強くなれば、歪みが生まれて、世界そのものが壊れてしまう。そんな気がする。